1 この資料について
今回は狂言の公演会にご参加を決めていただき誠にありがとうございます。みなさんにご連絡した時点では5~6人集まれば御の字かと思っていましたが、最終的に11名の方にご参加いただけることになり一狂言愛好家として大変嬉しく思います。折角安くはない金額を払って観ていただくのですから、当日最大限に楽しんでいただける様、解説資料を作成しましたので当日までに目を通していただけると嬉しいです。
2 能と狂言の違い
能・狂言は共に14世紀(室町時代)に成立し、現代では両者を合わせ能楽というジャンルで括られています。どちらも同じ能舞台を使用するので混同されがちですが、能と狂言には明確に違いがあります。
2.1 能
能は亡霊や神仏、精霊といった現実を超越した存在が主人公となることが多いのが特徴です。シテ(写真/中央に立つ人物)、ワキ(写真/右側に座っている紫色の人物)、地謡(写真/舞台右手に座るコーラス隊)、囃子(写真/舞台後方に陣取る楽器隊)など様々な役割の能楽師が登場します。セリフは超難解で、上演時間も1〜2時間に亘るので、毎回序盤〜中盤は睡気との闘い、後半になるとお尻が痛くて堪りません。
2.2 狂言
一方の狂言は、一般市民の生活を面白可笑しく描き出します。2〜3人で演じられることが多く、能の様に地謡や囃子はありません。上演時間は20〜40分程で、精霊や貴人、歴史上の人物を登場させる能と異なり、狂言の登場人物には名前がなく、より観客に寄り添った芸能と言えるかと思います。室町時代から続く演劇であり敷居の高さを感じますが、実際に見てみると、起承転結が分かりやすいものが多く、現代に生きる我々でもクスッと笑えてしまうところが一番の魅力です。
世阿弥は悪霊にさえ、幽玄をたたえた演技を求め、また彼があまり高く評価していなかった狂言師についても、もしその滑稽な演技が卑俗に落ちることなしに観客を魅了するのなら、そこには幽玄が存在すると不本意ながら認めたとも言える。狂言に俗悪な所があまり混じっていないのは、世阿弥がそれらを嫌っていたことで説明がつくだろう。西洋の中世の喜劇と比較してもそれは歴然としているが、もっとも彼が生きた時代には狂言のかなりの部分ば卑猥な内容や茶番劇が混然一体となった即興劇であったかも知れない。もちろん、今日ではセリフは明晰な発声のために細部にまで神経が配られているし、文学的にも相当整えられ、日本の舞台芸術の中でもユニークなものとなっている。狂言においても謡いや舞いはあるが、強調されることは多くない。狂言とは本質的に会話劇であり、登場する者たちの対立に導かれるのであって、能のように一人のシテが放つオーラの上に成り立つものではないのである。狂言での役柄はCommedia dell’arte(16世紀中頃から18世紀の初めにイタリアで栄えた即興喜劇)とは違って類型的なものばかりで、役柄の範囲もこの時代の日本を取り巻く状況によって極めて限られていた。当時の日本とは鎖国の時代であり、15世紀から16世紀にかけて日本を訪れたわずかな中国人や朝鮮人が笑劇の中に登場することはあり得なかった。それは、ヨーロッパの笑劇のように、好色なフランス人、打ち解けないイギリス人、粗野なアメリカ人といった具合に外国人を笑いの種にすることが狂言においてはなかったということでもある。外国人が出ないことは鎖国だけが理由ではなかった。狂言のユーモアとは同じ立場の家来や二人の殿様、あるいは異なる国から来た二人の外国人といった同等の人物を扱うのではなく、股様と家来の間柄のように、基本的には上下関係に基づいたものであるからだ。また。それだけではなく、田舎者がおかしく描かれているのは方言や時代遅れとなった言葉を使うことではなく、気の利いた詩を詠めない田舎大名といった具合に身の程知らずな振る舞いに及ぶことによってである。
もっとも頻繁に使われる喜劇的設定は、愚かな主人が如才のない家来騙されるという変わることのない構図である。ある学者に言わせると、家来が主人を出し抜くという設定には、民衆の怒りの声を表したものというし、また、そういった学説を裏打ちするような狂言もいくつか存在する。しかし、常識的に言って、聡明な主人が恵まれない家来を凌ぐのでは喜劇と言えないだろう。そして、劇中に、もし将軍や宮廷の権力を脅かすような風刺があれば、能、狂言を後援していた彼等は決してそれを容認しなかっただろう。
2.3 能と狂言の関係性
その昔、能楽を上演するとなると、一日に能が5曲上演され、各演目の幕間で狂言が演じられていました。能は演者も観客も体力を使いますので、狂言は幕間の時間の息抜き的に演じられてきたもの私は想像しています。能5曲に加え、合間に狂言を4曲上演するということは、どれだけ少なく見積もっても8時間はかかるでしょう。このようなプログラム構成を「五番能」と呼びますが、現在はこれほど長時間演じられることはなく、街中の能楽堂で「能2曲+狂言1曲」、「能のみ2曲」、あるいは「狂言のみ2~3曲」の構成で公演が開催されることが一般的です。
一方、五番能は現在でも一部の神社において、奉納行事として演じられるケースがあります。写真3は、広島県は宮島の厳島神社で毎年4月に執り行われる「桃花祭御神能」という、3日間に亘り五番能を奉納する祭事の3日目のプログラム表です。実は、2024年に私もこの祭事に演者として参加しました!この時は、膏薬煉という演目に茂山千五郎氏と一緒に出演させてもらいました。私にとって最も思い入れのある舞台です。
1曲として独立して演じられる狂言とは別に、能において「間狂言」という場面で、「アイ」という役をつとめるのも、狂言師の大切な役割です。その多くは、前場と後場の間に差し挟まれます。前シテ(前場の主役)が退場すると、代わってアイが登場、前場で起こった出来事や、物語の設定や背景などを解説します。間狂言が行われている間に、シテは装束(しょうぞく)を替え、後シテ(後場の主役)の準備をします。
3 演目紹介
江戸時代には「能奉行」という能の公演を取り仕切る役職がありました。その奉行へ各流儀の家元が、上演可能な演目の一覧を提出し、それを元に能奉行は演目を決めていました。その一覧を名寄と呼んでおり、現在の名寄せ(写真4)は江戸最後の名寄せを元にまとめられたものです。演目のジャンルによって、脇狂言/大名狂言/聟女狂言などと括られており、約150曲が存在します。今回は集狂言から酢薑、出家座頭狂言から惣八、聟女狂言から業平餅がピックアップされています。
3.1 酢薑
摂津の国の薑売りと和泉の国の酢売りが、都へ商売に行く途中に出会い、売り物の司を争い合います。まずは互いの由緒を語り合い、次に二人は秀句を言い合って勝負をつけることにしますが…。秀句とは酒落のことです。薑売りはが「辛い」ことから「カラ」の音を、酢売りは「ス」の音を強調して言ります。薑とは現在では生姜を指すことが多いが、昔は山椒のことを指しました。商売人らしく、それぞれの売物の言葉を織り混ぜて言い争います。
3.2 惣八
ある家の主人が僧侶と料理人を召し抱えるため高札を揚げます。そこへ最近まで料理人をしていた僧侶と、最近まで僧侶であった惣八と名のる料理人がやって来て雇われます。 主人は僧に法華経の読経を、惣八には鯛と鯉を料理するように言いつけます。二人はやり慣れないことに戸惑い、相談して元の仕事と取り換えます。料理人姿の惣八が経を読み、元料理人が僧の姿で料理をして…。出家の料理人と元料理人の出家が、同じ主人に抱えられたことから起こるドタバタ喜劇です。また鯛と鯉を乗せたまな板を出して元料理人の出家が料理をする手付きも見所です。
3.3 業平餅
在原業平が供の者たちを従えて、和歌の神様として名高い、和歌山の玉津島神社へ参詣に出かけます。途中で空腹を感じた業平は道端の茶屋にて休息を取り、名物の餅を所望します。代金は前払いと言われますが、業平はお金のような下賤なものは持っておりません。美味しそうな餅を目の前に、空腹に耐えかねた業平は「餅尽くし」の小舞を謡い舞い始めます。見かねた茶屋の亭主が出した交換条件とは…。和歌の名人として名高い「六歌仙」の一人、在原業平が主人公の狂言です。通常狂言には、歴史や物語でお馴染みの著名な人物が主人公になる作品はほとんどありませんが、この作品は例外です。和歌の名手・美男子として名高い業平が狂言ではどのように描かれているのかお楽しみください。
4 狂言の装束
公演当日は多種多様な装束にもぜひ注目してもらえたらと思います。ここでは、狂言装束における特徴を2点お伝えします。
4.1 肩衣
狂言における代表的な装束は写真5のような、肩衣に袴を合わせた太郎冠者の衣装です。綺麗に着付けされているので特に違和感は感じないと思いますが、どこか歴史の教科書や時代劇に登場する江戸時代の服装と違うと思いませんか?写真5の赤丸部分にご注目ください。本来は写真6のように、肩衣と袴は同じ色生地であり、肩衣の裾は袴の中に入れ込みます(肩衣と袴を合わせて裃と呼びます)が、狂言では、肩衣と袴の色が異なり、裾は袴の外に出したままにします。これは、太郎冠者が衣服の着方も分からないような人物であることを表現しているのです。現代に置き換えると、男性がスーツを着る際に、シャツの裾を外に出したまま外を出歩くようなイメージですね。どの肩衣・袴にもバラエティ豊かな絵柄が描かれているのも見どころの一つです。ぜひ、各役者がどのような衣装を纏っているかご注目いただければと思います。
4.2 足袋
もう一点、狂言の衣装に特徴的なポイントがあります。公演中、役者の足元の足袋にも注目してみてください。足袋といえば白色が一般的ですが、狂言の足袋は黄色なのです。これは、能や狂言が芸能として確立した室町時代に、能には白に染められた鹿の革足袋が用いられていたのに対し、庶民の芸能であった狂言には白足袋が許されておらず、色の染められていない革足袋が用いられていた名残であると言われております。尤も本当の由縁は定かではありませんが…
5 狂言の家
5.1 流派
現代の狂言には和泉流と大蔵流の2流派が存在します。それぞれの流派の中に家単位の派閥があり、狂言の公演は基本的に家単位で行われます。みなさんもご存知であろう野村萬斎や和泉元彌は和泉流狂言師です。大雑把にまとめると、その昔、和泉流は京都御所勤め、大蔵流は幕府勤めでした。明治以降、遷都と共に和泉流は東京を拠点として活動するようになり、幕府の後援を失った大蔵流は東京や関西に分散していきました。大蔵流狂言師の家は現在5家ありますが、その中で最も勢いのある家が京都を拠点としている茂山千五郎家なのです。
- 和泉流
- 野村万作家(東京)
- 野村万蔵家(東京)
- 野村又三郎家(名古屋)
- 三宅家(東京)
- 大蔵流
- 茂山千五郎家(京都)
- 茂山忠三郎家(京都)
- 山本家(東京)
- 大蔵家(京都)
- 善竹家(京都)
- 鷺流:明治期に断絶
5.2 茂山千五郎家
今回は大蔵流の茂山千五郎家の狂言を観ていただくので、ここで少し紹介させてください。茂山家は京都を拠点に活動しており、2025年現在は20名の役者(茂山姓12名+弟子8名)が所属しています。関西人らしく、みなさんおもろいことが大好きで、芸風も大らかでこちらの笑いを引き出す技術に長けていると感じます。一方で、狂言は中世のコントといえど、格式のある伝統芸能ですから、おもろければ何でもいいわけではなく、引き締めるべき時はビシッとする、そんなメリハリの利いたスタイルが貫かれています。
「千五郎」というのは茂山家の当主が代々名乗ってきた名前であり、当代の千五郎こと茂山正邦さんは14代目にあたります。一応、茂山家の弟子筋も含めた家系図も載せておきます。公演当日は「茂山さん」が大勢登場するので興味のある方は家系図と照らし合わせてみてください。